八ツ橋発祥の地『聖護院』

● 開 創
 聖護院は、本山修験宗(山伏)の大本山であり、智証大師・円珍によって創建された天台寺門宗の門跡寺院です。本尊は不動明王。本山修験は今からおよそ千二百年前、役行者神変大菩薩がお開きになった宗派で、平安朝の初めに智証大師に伝わり、大納言藤原経輔の子・増誉大僧正によって継がれました。増誉大僧正は、寛治四年(1090)白河上皇が熊野本宮に御参詣の際、先達をつとめた功によって一寺を賜り、「聖体護持」の二字をとって「聖護院」と勅称されました。またこのとき増誉大僧正は、熊野三山検校職に任ぜられ、修験道の統轄を命ぜられています。なお当院は、四世門主に後白河天皇の皇子・静恵法親王が入寺されてから門跡(皇子・貴族などが住まう寺院)となりました。

● 沿 革
 聖護院門跡は、初め今の場所にありましたが、応仁の乱(1467 ̄1477)で焼失して、洛北の岩倉村長谷の地に移されました。そして文明十三年(1481)には、夫人日野富子と不和になった足利義政が入寺されたため、本格的に堂舎の整備が行われましたが、またもや同十九年焼失。その後、豊臣秀吉が烏丸上立売に当院を造営。しかし、市中に移った後も、再度の火災に見舞われあえなく焼失しました。ついに延宝四年(1676)、後水尾天皇の皇子・道寛法親王の時に現在地に復しました。
 天明八年(1788)御所炎上の際、光格天皇が本院を仮皇居とし三年間住まわれ、また安政元年(1854)の御所炎上の際にも孝明天皇の仮皇居となり、この由緒をもって昭和十一年、「聖護院旧仮皇居」として史跡に指定されました。

● 本山修験宗と入峰
 役行者神変大菩薩によって開かれた本山修験は、日本古来の山岳信仰、自然崇拝に源を発し、民俗信仰と仏教・道教の思想が融合して成立しました。出家・在家を問わない菩薩道修行実践の宗派であり、最も日本的な庶民宗教といえます。修験とは、「実修得験」の意味で、修行の体験によって徳をあらわすことをいい、理論よりも実践が中心になっています。すなわち、この現実の人生に極楽浄土を築いていこうとするもので、そのためにはまず健全な心身を養わねばなりません。そこで我々は山に登って自然の声を経典として仏心を探り、身体を練るのです。
 役行者の正統として、このような修験の法統を増誉大僧正が継承されて以来、当院では毎年、各地に散在する修験道の峰に修行し、菩薩道の実践を行っています。ことに昔の大峰入りは、門跡の乗られた御輿を中心に、全国から参集した山伏行者の列が4キロ以上に及び、明治維新までは祇園祭とともに「京都一日の花」といわれるほどの盛観でした。
 なお今年六月には、役行者の没後千三百年を記念して大法要が営まれ、宸殿を中心とする建物の落慶式が行われました。
● 建造物と宝物
 当院の総面積は約五千坪(16000m2)。現在、院内には本堂・宸殿・表門・書院・庫裏などがあり、ほとんどが延宝四年(1676)に聖護院がこの地に移された時に建てられたものです。中でも仮皇居当時の御座所、御学問所、ご愛用のお茶室などは由緒が深く、ことに御所より女院の御殿を賜って移した書院は、江戸初期の書院例を示すものとして国の重要文化財に指定されています。現在の本堂は昭和四十三年に収蔵式本堂として再建、庫裏は平成六年に大仏間として再建されました。宸殿、大玄関は平成十一年より解体大修理が行われ、今年、その工事が落成しました。
 宝物には、智証大師作不動明王二体、智証大師坐像、光格天皇宸翰神変大菩薩号勅書、絹本著色熊野曼荼羅図など重要文化財数百点が、貴重な歴史的資料として保存されています。その他、当時の絵師による軸物、襖絵、屏風なども数多く伝わり、修験の諸法具も現存し使用されています。


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