| ● 筝曲八橋流(そうきょくやつはしりゅう) | ||
| 八橋検校が、当時の『筑紫流』を改革・発展させて創始した音楽を『筝曲八橋流』といいます。八橋検校の作曲と伝えられているものは、『菜蕗』『梅枝』『心尽』『天下大平』『薄雪』『雪辰』『雲上』『薄衣』『桐壷』『須磨』『四季曲』『扇曲』『雲井曲』のいわゆる八橋十三曲と、そして付物の『雲井弄斎』、秘曲の『古流四季源氏』『乙組』、段物の『六段の調べ』『八段の調べ』『乱れ』です。 これらの新しい組歌は、目の不自由な音楽家の間で伝承され、やがていろいろな流派にわかれていきました。こうした後代の分流に対して、八橋の時代のものを八橋流といい、その伝承を正統に伝えると称する流派もそれぞれ八橋流と名のりました。 八橋の直弟子である根尾検校の伝承は、初島勾当を経て、山口県の萩に伝えられました。少なくとも、八橋の百回忌までは、この萩八橋流が続いていたとされます。現代においては、藩楽として京都から八橋流を導入した長野県松代の真田家によって継承されているのみとなりました。 しかし、八橋が近世筝曲の道を開いたおかげで、そこから育った弟子が上方で生田流、江戸で山田流をたて、庶民の間に筝を普及させていきました。 ちなみに「箏(そう)」は、十三弦で琴柱を用い、「琴(きん)」は、七弦で琴柱を用いない楽器です。古くは、「箏の琴(そうのこと)」と「琴の琴(きんのこと)」と2種ありましたが、「琴の琴(きんのこと)」は、いつしかすたれ世の中ではほとんど見ることがなくなったため、「箏の琴(そうのこと)」とわざわざ言わなくても、「琴(こと)」岳で、「箏」の琴を表わすようになったのだ、と言われてもいます。もちろん検校によって広められた「箏」が、日本の知識階級の愛好されたためでもある訳です。 |
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| ● 当道(とうどう) | ||
| 中世から近世にかけて、特に平曲(琵琶の音に和して『平家物語』を語る)を得意とする琵琶法師たちが、自らの芸道・集団を「当道」と称しました。「当道」では、二十八歳で失明された人康親王(さねやすしんのう831 ̄872/仁明天皇の第四皇子)を祖神とし、天夜尊(あまよのみこと)として祀っています。 室町初期に、平曲家・明石覚一が、その仲間を組織化して「当道座」を創設し、目の不自由な人はこの当道座に属して、幕府より保護されていました。室町時代には検校(けんぎょう)・別当(べっとう)・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)の四官が設けられましたが、江戸時代に入るとその職分がさらに細かく分けられます。 当道座の最高位は惣検校であり、職と呼ばれ、職屋敷は京都(下京区高倉通仏光寺下ル付近)に置かれました。職屋敷では、惣検校以下がつめて技芸試験や裁判などが行われましたが、明治四年、当道制度の廃止により、職屋敷も廃されました。 |
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