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聖護院八ッ橋について
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ご挨拶 Greetings

聖護院八ッ橋総本店を営むにあたり、まずはじめに掲げている言葉は「味は伝統」です。
当社は300年以上に渡り続いてまいりましたが、ひとえにこれは、皆様が当社の製品である八ッ橋を美味しいと思っていただいたことにより、支えていただいたためであると考えています。

京都の文化というものは多くの人々が受け継いできたものです。大勢の人々が一過性の流行に流されず、心から良いと思ったもの、後世に残したいと思ったものが伝わっていったことによって、今の文化は形成されています。私たちは八ッ橋というお菓子を作る会社として、次の時代に美味しい八ッ橋を残し伝えることが、会社としての使命と感じております。

お菓子という口に入るものを製造・販売している上では、最も大切なことは「味」です。長年続いてきた味には、やはりそれなりの美味しさの理由があります。

ただその上で、時代時代の変化にあわせて、皆様が愛される味の研究も重ね、これからも口に入れたときに感じる変わらない「美味しさ」を、提供していくつもりです。本質は変えず、時代にあわせる部分はあわせ、そして存続していく。これこそが本当の意味での文化の継続であると考えております。

また、近年、会社によっては効率の良さや安さばかりを追い求めることもあるようです。ただ、それでは、会社として長続きしないのでは無いでしょうか。
一企業として、自社の利益を追求するのは当然ですが、企業が続くためには一社だけの利益ではなく、周囲からの支えが無くてはならないものです。

当社は聖護院という地域に支えられて現在まで続いてまいりました。
この地域を大切にし、近隣の皆様が過ごしやすいよう、活気が溢れるよう心掛けることも、会社のつとめであると考えています。引いてはそれが京都全体の発展に繋がり、京都に根差す会社の継続の要因になるのではないかと思います。

続いていくということ。
続いてきたということ。

継続ということの本当の意味を常に忘れることなく、私たちはこれからも京都で八ッ橋を作り続けていきます。

代表取締役社長

八ッ橋が誕生したのは、元禄二年(1689年)です。

江戸時代前期、箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校は、
「六段の調べ」など数々の名作を生み出し、近世筝曲の開祖と称えられています。

歿後、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られましたが、墓参に訪れる人は絶えることがありませんでした。
そのため検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、
黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。
以来、300年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。

原材料について

八ッ橋の定義は、「米粉と砂糖をあわせたものに、にっきで香りづけをしたお菓子」です。
当社はこの定義に従い、長年美味しい八ッ橋を追求してきました。
大変シンプルな作りものですので、原料となる米や砂糖は、八ッ橋の美味しさを引き出すものを厳選しています。
また八ッ橋に欠かせないにっきについても、風味が豊かで刺激が少ないものをもとめています。

  • 米粉

  • 砂糖

  • にっき