2008年 祭菓「古都の夏」掲載朝焼け

 寝苦しさに目が覚めてしまったので、散歩をすることにした。外に出てみると、部屋ほど蒸しているわけでは無い。
 常に歩く道とはいえ、闇の中は表情を変える。木戸をもたれかかせた八ッ橋屋は、静まりかえりながらも、肉桂を漂わせていた。

 暫く下宿から南に歩くと、琵琶湖疏水に出る。
 そっと水面に触れてみると、案外と冷たいのに驚き、手を引っ込めてしまった。
 それを見て笑い声がたつ。
 このような時分に誰が、と見渡すと、松村が座っていた。
 「冷たいだろう」
 「どうしてこんなところにいる」
 「なに、終電を逃してしまったのだ。少し羽目を外しすぎた」
 爽やかな朝であるというのに、松村からは酒の残り香がする。それにしても酔うのは良いが、露濡れた水辺で朝寝をしているなど、医者の卵として如何なものかと思うと、こちらも笑いがこみ上げて来た。
 「どうして鴨川では無くここに」
 「鴨川は、夜中も学生が多い。ここは、静かだ」
 そのようなことを知っているところを見れば、こうした朝寝は一度では無いのだろう。
 「それに、景色も楽しめる」
 鴨川であるのならばともかく、桜の季節でも無いというのに人工的な疏水で景色というのは、といぶかしんだが、松村はまた眠りに落ちていた。
 十分に涼んだため、下宿に帰っても良かったのであるが、寝ている友人を置いて帰るのも気が進まない。結局、私も横になった。すぐに夜露が衣を濡らし、よくもまあここで眠れるものだと呆れてしまう。
 しばらく水面の黒い波紋を眺めて過ごした。

 突如、波紋がきらきらと光りはじめた。
 何がおこったのかと振り返ると、目を細めずには居られないほどの光が、東山に表れた。
 「朝焼け、などというのは、二日酔いの朝には似合わないかもしれないが」
 目を覚ました松村が笑う。成る程この景色はたしかに楽しめると見る間に、空はすぐに桃から青へと転じ、常の朝となっていった。
 先ほどまでの涼しさも無く、既にうっすらと汗が滲む。
 「それでは大学に顔を出すとするか」
 松村が立ち上がった。もう行くのかと問えば、汗流しに銭湯に寄ると言う。朝寝に朝風呂とは、これで朝酒でも入ればもう医者の風上にも置けないと、羨ましさを交えて見送った。
 私も一度、酒と暑さを理由に疏水で朝寝を楽しんでみても良いかもしれない。

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