2010年 祭菓「古都の春」掲載春一番

 昼時に、庭先で大家と八ッ橋屋と話していると、風が通っていった。甘い香りを含んだ、少しあたたかい風である。
 まだ寒い時期に不思議なものだと思っていると、大家が風の行った方を見て呟いた。
 「春一番やわ」
 ああ、これが春一番の風なのかと、二人を残して私は風の後をつけてみることにした。

 暖かい気配は、路地を抜けて八ッ橋の店をこえ、肉桂の風味も身につけながら西へと向かっている。鴨川に沿って少し北へと行くと、白い服の少女とぶつかりそうになった。
 「ごめんなさい」
 「こちらこそ。大丈夫ですか」
 ええ、と恥じらい無く笑顔を見せる。リボンのついたモダンな洋服がとても似合う、整った顔立ちをしていた。
 「おいそぎのようでしたが」
 「春一番を、追いかけてたんよ」
 「では、私と同じです」
 せっかくなのでと、連れ立って歩くことにした。春一番は、肉桂をまだ纏ったままでさらに北へと伸びている。
 「良い香りやわ」
 少女が背伸びをして、残り香を求めて鼻を動かした。真似をすると、なるほど、肉桂に混ざってさまざまな花の香や、水の香、土の香などが見えてくる。
 鴨川も、勢いを少し増して白い波が見え隠れしていた。春の訪れが嬉しくて仕方が無いのかもしれない。

 空は、そろそろ桜を迎え入れる準備が整った色に変わっている。やはり、春一番なのだと思い、少女と共に足を速めた。
 「見て、あの石垣の間やわ」
 彼女が指を指す場所を見ればたしかに、石垣の隙間の小さな穴を通り、春一番は進んでいったようだ。これは諦めるしかあるまい、と立ち止まろうとしたが、少女はそのまま進んでするりと穴に入ってしまった。
 近づいて見れば、本当に少女の頭ほどの幅しか開いていない。これでは、追いかけることも出来ないだろう。

 ふと石垣の上を見ると、桃の蕾が色づいていた。
 これでまた、春が一つやってきたなと思い、これから生まれ出るであろう鮮やかな色の桃の花を描きながら、私は石垣を後にした。

 春一番の行き着く先を知ることが出来るのは、幼い子供の特権なのである。

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