八ッ橋の歴史

八ッ橋の誕生

八はしでら

八はしでら

八ッ橋が誕生したのは、元禄二年(1689年)です。

江戸時代中期、箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校は、「六段の調べ」など数々の名作を生み出し、近世筝曲の開祖と称えられています。
歿後、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られましたが、墓参に訪れる人は絶えることがありませんでした。 そのため検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。以来、三百二十年余りに渡り、当社は八ッ橋を製造し続けています。

また現在でも、検校の命日である六月十二日には毎年、当社の社員全員が検校の墓参をし、 法然院にて聖護院八ッ橋総本店主催の法要(八橋忌 - 詳しくはこちらをご参照ください。)を営んでいます。

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つぶあん入り生八ッ橋「聖」

神酒餅

つぶあん入り生八ッ橋「聖」は、昭和三十五年(1960年)、祇園祭の前日祇園一力亭にて毎年開かれている表千家のお茶会で誕生しました。
こしあんを生八ッ橋で包んだお菓子に、即中斎宗匠に「神酒餅(みきもち)」とのお名前を頂戴し、お客様をおもてなししたところ、ご好評いただきました。
この「神酒餅」が原点となり、つぶあんを生八ッ橋で包み、「聖」として商品化することとなりました。 三角形の僧侶の帽子をかたどり、位の高い僧を意味する「聖」と命名した、と言われています。

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